そうそう・・・昨日の夜、なに食べたっけ?やっと辿り着いた場所がこのクソブログpart6

命の続く限りアングラ(ただの自己満)で生き続ける男のちょっとエッチな独り言

本を読むってのは大変な事なんだよね

ゴミ捨て場に捨てられていた『アルジャーノンに花束を』の単行本を見つけて拾い上げ、家に持ち帰って完読した。内容は知っていたが、改めて面白い本だなーと思った。

 

広く知れ渡っている本なので内容を知っている人も多いと思うが、よく考えられた流れと内容。イニシエーション・ラブって本を読んでゾッとした経験を思い出したが、似通った所は無く、文章ってのは構成が大事だよなーって思った。

 

最近は電子書籍が主流になりつつあり、紙の本を書店で買うことが極端に減った。例えば芥川賞を受賞した作者や作品もネットニュースで知り、興味をそそられるとそのまま懇意にしているネット書籍を扱うページにアクセスして、専用端末にダウンロードしてサクッと内容を確認できてしまう。週に一度は書店に通った頃が懐かしい。オレみたいな人間が相当数いるとすれば、書店が成り立たなくなるのも頷ける。

 

なんていうか、文章を理解しながら読み進めるってのは結構根気のいる作業で、慣れていないと『本を読む』行為自体が面倒な作業になる。ネットでもテキストサイトが流行した時もあったが、いまでは写真付きの絵本のようなサイトが大人気。こうなると芸能人の独壇場で、ウンコみたいな素人が発信場所を求めてブログなんてやっても誰かと通じることなんてなく、早々に廃業するしかない。えっ?そうそう、ウンコみたいな素人=オレのことを言っているよ。

 

イイネ!と肯定されるとやっぱり嬉しくなるから、人気のない場所でキレッキレのブレイクダンスを踊ったって何かもの悲しいよね。日の目を見ることのない鍛錬は、宝の持ち腐れ。でもいいの、別に。下の中くらいの文章力しかないのに、そこに執着しだすと人生終わっちゃうから。『俺はまだ本気を出してないだけ』みたいな。

 

もとい、生きていくには文章読解力は必須能力で、本と触れ合っていると面白いように人生が展開していくことがある。オレの場合、小中学校に培った力だけで今も生きているほうだけど、たまに思いついたように本を読んだりすることがあるから、それをしない人よりは半歩だけ前にいる感覚でいる。一番最初に拾った本の話を書いたけれど、タイトルを全く知らなかったらきったないようなその本を手に取ることも無かったし、そこから別タイトルを思い描くことも無かった。新聞などではなく、たまに創作された長文に触れることで、想像力を刺激することもあったりしてね。

 

なんていうか、自分にとって読書こそ本当の趣味なんだと思う。履歴書に書いてもいいくらいの、広く浅い感じで。本気度が薄いくらいが趣味を名乗るにはちょうどいいでしょ。

 

取捨選択とは、まったくもって難しい

新しいモノを手に入れるには、まずは古いものを処分する心構えが必要である。それは人間関係でも同じことが言えて、常に新鮮な関係を求めているならば古い過去を捨てながら進んでいかなければならない。

オレは古い人間関係に執着しているので、新しい出会いからは目を背けて生きていると言っても過言ではないわけで、別にそれでもかまわないと思っていた。しかしながらオレが良いと思っていても周りが変化していくことだってある。戻る場所なんて必要ないと、糸の切れた凧のような生き方をしている友達は実際あまりいないけれど、住む世界が変われば付き合う人も変わっていく。学校に通っていた時は毎日会っていた友達が、数年後には音信不通になることなんてざらにある。

『自分だけは変わらずにここにおる』と、そう思いながら生きているんだけれども、それって完全にエゴ以外の何物でもない。当たり前だけど皆が帰ってくる確約はない。

新しい家族を持ち幸せを実現している奴がいるし、ガッツリ仕事をして地位を築いている奴もいるけれど、そうなれば過去に執着する必要なんてないわけで、なおさら今を大切に生きるべきだと思う。オレだってそうする。

 

世の中には日々新しい会社が出来ては消えている。皆さん、会社の10年後の生存率はいくらくらいか想像してください。これは統計的なものらしいけれど、10年後に残っている企業は5%程度なんだって。そして30年後には0.02%。これってちょっと信じられないことだよね。

だってそうでしょ。自分が勤める会社が生き残っていく確率に置き換えたら、普通預金金利よりも低くなっちゃうの。

そしてある人はこんなことも言っていました。生き残っていくのに必要な事は何か。一つのことを突き詰めて極めること?会社を大きくすること?精鋭部隊を作ること?社会貢献をすること?いえいえ、一番大事なことは『変わり続けていくこと』なんだそうです。社会の変化に順応していく会社が勝ち続けることができる。トヨタが日本一の企業になったのは、織物機械の会社から自動車産業にうって出たから。ソフトバンクが巨大化したのは孫正義が時代の潮流を読んで『やる』と言ったことを、周りの人たちが臆することなく順応してついてきたから。

 

はなしがわけわからないことになってきたけれど、ようは何が言いたいのかっていうと、勝者には勝者の考え方が、敗者には敗者の考え方があるってこと。何事も選ぶことが重要で選ばないことを決めた時から退化が始まる。

 

というわけでオレは退化の象徴というわけです。でもそれでいいと思っている。

 

熟女好きとかそういうのではなく、色々と経験した人間の影の部分を共有したい願望があるわけです。

痴漢願望は全くないが、チラチラと見えてるのか見せてるのか、そんな本能を掻き立てる女性の行動は、拒否しようにも男は無意識に目線を持っていかれる。

 

昨日までおっかさんのオッパイをしゃぶっていたようなガキに興味は無く、どちらかというと、女性係長という響きのほうが『おっ!』っとなる。しかしながら女の武器を早熟気味に覚えてしまった節度を知らないガキの安い誘惑ほど色んな危険を孕んでいるものはない。きっと私のようなオッサン連中にはわかってもらえると思う。

 

さてさて、今日話したかったのはそんなことではなく、私の大好物の話。

若い頃は激烈にモテていたけれど30代に入って同世代の男子には敬遠されるようになり、エロいオッサン連中にターゲットにされるもそれを凌いで中途半端に出世して係長になり、結果誰からも相手にされなくなってきている係長女子だ。何しろ他人を寄せ付けない張り詰めた雰囲気や、そこはかとなく漂う負のオーラがたまらなく好きなオレは、この係長女子に滅法弱い。そうはいっても綺麗な女性は基本的にはモテるので、オッサン臭が漂うオレなんて相手にされない。そこをどうやって攻略していくのかが腕の見せ所なんだけど、そういうシチュエーションになったことが今まで一度もないので、これは完全なる机上の空論。いわゆる妄想の域を出ない。

もとい、係長女子は婚活なるものには興味が無い。しかしながら、30代にもなると湧き上がってくる性欲を抑えることは難しい。なにしろ若い頃には男に困ったことは無く、イケメンが次から次へと自分を攻め落としに来た経験をしてしまっている。半面いけないのが自分の体を通り過ぎていった男の甘い言葉が、あなたの自尊心を支えている。「かわいいね、綺麗だね、すごくいいよ、魅力的だ、素敵な体だ」等々、あなたを落とすために男が囁いた言葉の数々が、ガラスのような薄いプライドを築いてしまっている。

全てが中途半端な状態になってフワフワと社会を漂い始めると、女は色んな事を始めてしまう。お一人様なんてのが一時期流行ったが、一人旅や一人スポーツジムなんてのもやり始め、仕事の出張先の写真をインスタで掲載し始めたら末期症状。出張=カッコいいと思い始めたら最後、男にも女にも相手にされなくなる。

うんうん、すごく大好物に仕上がってきているね。

一番いいのは、性欲解消スポーツセクロス同好会のようなサークル活動。どこかにこんな素晴らしい活動をしている団体がないかネット界隈を捜索しているけれど、行き付いたことが一度もない。似ているようなところでいうとハプニングバーあたりか、廃れた出会い系サイトのような場所になってしまう。

全国にこんな同好会を発足させてみたいと思ったりするわけだけど、本当にやったら警察に即逮捕っぽいので現実的ではない。だいたいがさ、性欲が激烈に強い女に対して、同じレベルで性欲が強い男が相手だと関係性が成立しない。男が冷静に対処できるくらいの余裕がないと、猿の交尾のようなものになってしまう。きっと係長女子ならわかってもらえると思う。こんなことを言いたくはないが、世の中に既婚男性と係長女子の不倫が横行しているのは、自然の摂理なんだよね。本気になってしまわないような精神統一の術を心得ている男は、漂うオーラが違う。※ただしイケメンに限る

 

さて、オレはどうしたら係長女子にお近づきになれるのか。見当もつかないが、擦れた心と怪しい雰囲気は誰にも負けないと自負している。だってそうでしょう。こんなにも妄想が激しくて長文を垂れ流すオッサンなど、周りを見渡してもなかなかいないですよ。そして面白そうな雰囲気だけはある。しかしながら見た目がちょっと残念だから、スタートラインに立つところまで至らないのです。とはいえ、オッサン特有の気持ち悪さはまだ出ていないと思うよ、ふぃーちんこちんこ。