そうそう・・・昨日の夜、なに食べたっけ?やっと辿り着いた場所がこのクソブログpart6

命の続く限りアングラ(ただの自己満)で生き続ける男のちょっとエッチな独り言

オレが野球少年をやめた理由

昭和を生きた男なら誰しも野球選手に憧れ、皆が当たり前のようにマイグローブを持っていて、日が落ちるまでキャッチボールをしたり友達と試合をしたりしたことだろう。オレも皆と同じように野球を愛した小学生で、4年生になると地域の野球チームに所属して友達と楽しく野球をした。純粋にボールを追いかけることが好きで、上手下手は二の次。バットでボールを打つ快感に酔いしれた。

しかしながら5年生になるあたりから違和感を覚え始める。地域の大人がコーチやら監督やらをやっていたのだが、あからさまなえこひいきをする様子を目の当たりにし、その被害にオレもあっていた。具体的に言うと、レギュラーはコーチ達お気に入りの子供でほぼ固定。そこに付け入るスキは無かった。そして練習もレギュラー以外は見ていることがほとんどで参加させることはなかった。とは言っても、補欠は同じ学年でオレを含めて3人しかいなかったがね。

補欠の原因は、オレに野球の才能が無かったからなのかもしれない。しかしながら守備は内野を経験したことは一度もなく、外野に固定された。もちろんピッチャーなど論外。外野の守備練習をしても、コーチのノックがオレの時だけなぜか明後日の方向に飛び、ほとんど球拾い状態。思い出すと反吐が出るが、完全に嫌われていたとしか言いようがない。

一番酷かったことは、バッティング練習で打席に立つチャンスが巡ってきた時、コーチがほぼ100%オレにデッドボールを当ててきたこと。打つ気満々で打席に立っても何度も体に当てられて恐怖を植え付けられて、ついに打席には恐怖しか感じなくなった。大人になってバッティングセンターに行くこともあるが、規則正しく球を発射してくる機械にすらデッドボールの恐怖を今でも感じる。Theトラウマである。もといそのくせ、敗戦濃厚の9回裏の場面で、打撃練習もほとんどさせてもらっていない状態のオレを代打で送り込むことが何度かあった。鬼の所業である。もちろん結果を出したことは一度もない。

コーチが何でオレを目の敵にしたのかは知らないが、周りの友人たちがみんな野球チームに所属していたので、ワイワイとやることは楽しかったので続けていた。

しかしながら、オレが野球をすることが嫌になった決定的な出来事ことが起きた。その時オレはすでに6年生になっていた。一年に一度、その年に着るユニホームが貸してもらえる時期(6月あたり)が近づき、子供たち皆が待ちわびていた。コーチはそれを感じていたからか、いたずらに先延ばしにしていた。本当に意地が悪い。6月の最終週、オレは風邪をこじらせて日曜日の朝から39度の高熱を出していた。しかしながらユニホームを手にするまで練習を休むわけにはいかない。コッソリ支度をして家を出ようとすると、親に「お前、何を考えているんだ!」とこっぴどく怒られて布団に縛り付けられた。皆さんのご想像のとおり、もちろんその日にユニホームは配られていた。次の週には6年生から4年生まで全員にゆき渡ったユニホーム姿を目の当たりにして、自分だけがジャージ姿なのを少し恥ずかしく思った。そしてコーチに指示されて、残されたユニホームの中から自分のサイズを探せと言われ、その残骸をみて愕然とした。膝に穴の開いたようなものや小さいサイズしか残されておらず、比較的体の大きかったオレに合うユニホームは残されていなかった。その中なら程度が良さそうな一番サイズの大きいものを選び、練習に参加した。

レギュラーに若い番号が配られるのは仕方がないとして、何とか知っている選手の番号をと思ったが、目ぼしいところで中畑清の24(後に高橋由伸)があったが、小さすぎて着ることができなかった。上着はどれも腕を通すのも困難で体をねじ込んだまではよかったが、肺が圧迫されて息ができないほど。忘れもしない背番号は32。

それからも体罰はなかったが、嫌味やしごきの類は日常茶飯事で、このチームで野球をすることに楽しいと感じることは一度も無かった。オレは小学校を最後に野球を『辞める』ことを決意した。

仲の良かった友人達はレギュラーで楽しそうに野球をしていたから、中学に入ったら当たり前のように野球部に所属した。彼らからしたら、オレが野球から去った理由は単に『下手でレギュラーになれないから』だろうと思っていたはずだけど、別にそれでいいと思っていた。半分以上事実だし。

 

『あんなに楽しかった野球が、自分を苦しめることになった』

 

イチローが言っていた。もちろん彼と同じレベルだなんてこれっぽっちも思っていない。しかしながら、そんな状況でもプレーを続けたイチローがいたわけで、そういう意味ではやはりイチローはすごいと思う。オレはすぐに逃げ出したからね。

 

さて、今日はそんなことを言いたかったわけではないんです。今日オレが言いたかったことは、子供の『楽しい』を伸ばすのも潰すのも、周りの大人のやり方しだいであるってことです。下手でもずっと好きでいられるのが本来の姿だと思うし、純粋な気持ちを奪われることなんてあってはいけない。スポーツの世界だけが厳しい上下関係が許され、力による圧力がまかり通ってはいけない。治外法権が許されないことは日米和親条約について習った小学生だったら知っていますからね。

 

これだけ何の反応もないブログを続けることに対するモチベーションの高さは、オレの変態度を表している

閑さや 岩に沁み入る 蝉の声

オッサンの日常など誰も興味ないのは十分承知しているので、基本的にはサブカルチャー好きな人が面白がって粘着してくることを期待している。単なる期待である。まあ現代ネット社会ってのは、自らの情報発信をうまく社会と繋げて地位を築くにはそれなりの力を持った情報発信者に擦り寄ることが近道。いくら文章が長けていて面白いことを書いたところで、膨大な情報の中からそれを拾い上げる土壌が今のネット社会には存在しない。いや、今も昔もそんな蜘蛛の糸を垂らす神様のような存在はいない。ははーん、オッサンいい歳して未だに幻想と戦っているのか?と問い詰められたら、真っ赤な顔で『違うっ!違うんだもん!』と足をバタバタさせてウンコ漏らすしかない。

若者たちがインスタ映えスポットを徘徊し、イイネ集めをしているのと変わらない感情が、まさかオレの中に芽生え始めてるとでもいうのか。

ネットには全ての情報が落ちていると勘違いしている人が多いが、ディープな部分を詳細に語るような信用できる情報はほとんどない。誰かが発信したようなことを拾い集めて並べてさ、あたかも『ピッカピカの新品ですよ』と言わんばかり。本当に求めているものはネットの中ではなくオフラインの人間の中にある。でも孤独に耐えられなくなったオレみたいな人間は本音をネットで話し始めるわけだけど、その方法が独り言の域を出ない。その点で言えば、ツイッターは短文で誰でもゲロを吐きだすように言葉を紡げるから、駄文も多い分物事の真理も存在するのかもしれない。

変態を自負するオレだけれど、最近ハプニングバーについて検索することが常でありながらまだその経験したことは無い。その手の情報は腐るほどあるけれど、やはりどれも誰かの受け売りのような感じで実態不明のリア充投稿ホットドックプレスを読んでいる気持ちになる。

オッサンになれば世の中の真実が全て見えてくるわけです。世の中のほとんどの男性が包茎というのはほぼ正解で、包茎が恥ずかしいことというのは上記ホットドックプレスの完全なる『刷り込み』である。包茎は全く恥ずかしくない。恥ずかしくないというのは語弊があるが、歳を重ねるに従って『羞恥心が薄くなる』と言ったほうが正解だろう。あんなに憧れた剥けてるチンボに何の興味も無くなり、何なら過保護に守られたピンク色の亀頭が愛おしい。ダークブラウンの亀頭になってからでは、大好きなピンサロにさえ行くのを躊躇う。だから包茎はしっかりと清潔を保って管理さえすれば正義なのである。また歳を取れば新陳代謝が落ちてチンカスもほとんど出なくなるから、若者は安心していただきたい。

それとホットドックプレスには『世の中の女子は包茎が嫌い』と再三に渡って書いていたが、それもでたらめである。女は包茎で悩む若い男子の心を全く知らないし、それを理解しようとは思っていない。何なら『なによそれ?悩むところはそこじゃないでしょ?』と思っている。包茎男子に違和感など全く感じていない女子がほとんどである。しかも女性の半数は挿入自体に執着心は無く、全体的な流れを楽しんでいる傾向がある。男、特に若い男は征服感を楽しむため、棒が穴に収まることが目的であることがほとんどで、なぜか小さなことにこだわりが強い。プライドが邪魔をしてしまうのだ。だから包茎も気にしてしまう(オレも人のことは言えない)。少なくとも自分に好意を持ってくれた女は、男の包茎なんぞ「へーそんなこと気にしてるんだ、かわいいところあるね」くらいなのだ。大体さ、女子のほとんどの父親が包茎なんだから、それは見慣れた光景であることに加えて、完全体なんてほうがレアケース。

これだけ熱く語ればわかってもらえたと思うが、男は自分のチンボに関してはかなり思い入れがあるが、女のマンマンに対する思い入れは男の思い入れに反比例するほどに低い。それは見た目の可愛さグロさの違いもあるし、使い方の違いもあるからだろう。オレが猥談を展開した女性の多くが、まじまじと自分のマンマンを観察したことが無いというのだからショックである。日本人の女性特有の感覚なのかどうかは定かではないが、日本人女性の陰毛の処理具合は、正面は見た目を気にしたり水着から出ないように処理をするが、マンマン周辺はほとんど手を付けないなんて人もいる。聖域感が半端ない。最後の砦なんだからもっと草刈りしてさ、見た目もスッキリさせておいて欲しいというのが男の大半の意見であるからして、お顔のお化粧も大事だがもう少し全体的なおめかしをお願いしたい。ただね、マンマン周辺の陰毛が、挿入時にチンチンに纏わりつく感覚は嫌いではない。嫌いではないけれど、男はどうしても視覚で興奮する生き物であるからして、男が相当の忘れん坊でない限りマンマンボウボウの光景は腰をいくら高速で振ろうとも、トータル的には気持ちを萎えさせてしまう。その一種独特なマンマンボウボウの光景は、それを見慣れていないチン毛が生え揃ったばかりのボーイ達には幾分か刺激が強かろう。全てが整えられたAV女優ばかりを見ていたら、それがスタンダードに設定されてしまうのでダメなのだ。しかしながら男が大人になり、酸いも甘いも嗅ぎ分けられるようになると、全ての状況を楽しめるようになる。ただそうなった頃には、男は見向きもされないオッサンと化しているのだ。

男は細かいところばかり指摘しがちで、阿呆な生き物。女が遊び心でその幼稚さを弄べるようになるのは、性欲の高まりを感じつつある40代に入ってからでしょう。だから同年代の男と女のタイミングはなかなか合うことが無いんだねえ。

 

青少年たちに聞いてもらいたい情報を発信しても、ここはダークで危険な香りのするアングラ空間。きっとこんな話など一笑するような猛者ばかりが集まってしまう。いや、今のところ人っ子一人存在しないのよね。

この無人空間で、この熱量を発揮し維持できるオレの変態具合は何物にも代えがたい宝物。そこがまた魅力だと自負しています。さあ、怖がらないでおいちゃんの話しかけてごらん。悪いようにはしないから。

ふぃ~ちんこちんこ。

 

そっちの主張を認めて貰いたければ、こちらの主張にも耳を傾けたらいかがでしょうか。

入れ墨だとか、タトゥーだとか、紋々だとか、何度も話題に上がっては消えてまた再燃するという問題について少しだけ考えてみたのです。

オレの考えを一番最初に言っておくと、一般的な日本人的考え方と全く同じである。反社会勢力を連想し、相手に威圧や嫌悪感を与える以外の何の意味もない。タトゥーを入れる人の行動態度からは、相手より精神的に優位に立とうという意識が見え隠れする(全ての人がそうだとはいわないが)。だから素肌が露出するような場からは排除されて当然だと思っているし、それを肯定し受け入れるつもりは毛頭ない。

 

タトゥーに関しては、それを体に彫り込む時の本人の気持ちをまずは知るべきである。実はオレの友人にも訳の分からない黒色の紋様を刻み込んだ奴がいる。それを知ったのはその友人と二人でスーパー銭湯に行ったときだった。オレは極度の近眼のため、メガネをせずに風呂に入るとほとんど周りが見えなくなる。その日もぼやけた視界ですっ転ばぬよう足元に注意しながら洗い場までいった。すると肩口にゴッツイタトゥーが入った奴がいて、そいつの隣しか洗い場が空いていないという状況。「しかたねえなあ・・・」と思いながら着座すると、「おう」と声をかけてくるじゃないですか。まあ声を聞いた瞬間にすぐに友人だとわかりました。

「お前、その肩の・・・どうしたんだよ」と聞くと、数年前に何となく興味本位で入れたという。真意は定かではないが、悪びれた様子もなく、いたって普通に振舞っていた。何ならオレに指摘されるまでタトゥーの存在を忘れていたかのようだった。ただ、このスーパー銭湯には入り口にはデカデカと『入れ墨禁止』の看板が掲げられており、「お前、それでここはやばいぜ」とオレは言ったが奴はあまり気にしない様子だった。それからすぐにそこの店員らしき男性が足早にやってきて「お客様、入れ墨のある方はちょっと・・・」と言われていた。「テーピングで隠していただければ問題ありませんので」と付け加えられて、全裸で更衣室に連行されていった。もちろんオレは一連の流れを他人のフリで聞き流したのは言うまでもない。そして肩を骨折したかのようにグルグル巻きにテーピングしてしょぼくれた顔をして再入場した友人を目の当たりにして、大いに笑わせてもらった。もう外で待ってろよ。お前、そこまでして銭湯に入りたいかw

 

上記から考察するに、友人に常識が無いという部分については触れずに話を進めると、一般人が入れ墨を入れること自体は『かっこいい』だとか『アウトロー』的な安易な考えで実行するケースがほとんどだが、入れた後は基本的にあまり気にしていないという所が本音なんだろう。ただ、本質はといえばSNSと同様、自分の姿を見た相手から何らかのアクションを求めており、あわよくば『イイネ』よろしく共感してもらいたいと思っている。だから周りの拒否反応を見るにつけ『なんでマイノリティーを受け入れてくれないのか!』と被害妄想を始めるわけだ。

どちらかというとタトゥーに関して言えば、それを見せられるほうが被害者である。ハイハイカッコイイネ、イキッテルネーと、心の中でツッコまなきゃいけないほうの身にもなって欲しい。肯定派もいるだろうが、それは八方美人の穏健派か、田嶋陽子バリの過激派フェミニストのような、リスキーな発言で生きている人達だ。

というわけで、他人に見せた時の反応を貰いたくてウズウズしているのを想像すると、もうイキっている彼らとは相容れない溝があるのです。

 

タレントのりゅーちぇるなる人が、子供と家族の名前を体に刻み込むことは、それらを守っていく覚悟なんだというようなことを発信して話題になっている。それを色んな人が色んな意見で吊し上げているが、結構肯定派もいて寒気がした。

そもそも家族を守ることがなぜタトゥーに繋がるのかが理解できない。まあ色んな価値観の人がいるから百歩譲ってそこはスルーしよう。そして家族を守る覚悟を周りに宣言することもいいでしょう。しかしながら『これがその覚悟の証なんです!見てくださいよ!こんなことしちゃうんだから他の人よりも本気度は私のほうが上に決まってるっしょ!』とドヤ顔で言うのはやめろってだけです。そして一番不快なのが、家族愛を持ち出して賛同を得ようとするところ。その点で言えば、龍や鯉の紋々で威嚇するヤンキーのほうが、まだいくらか清々しさを感じる。

まあさ、日本で他の人と同じようにスーパー銭湯やプールに行きたいのならば、その紋々は自分だけが見れるチンボの皮の裏にでも彫っとけよ!ってことです。

なんかハンターハンターの制約と誓約を思い出しちゃったよ。要するに自らの覚悟をひけらかすような行為はあまり良くないと思うの。自己完結してよ、そんなの。みんなそうしてるんだから。

タトゥーを肯定してもらいたい人の基本的人権を守られることと同じくらい、それを否定する人の考えも尊重されてしかるべきなのです。

 

反社会勢力が社会から抹殺される方向に動いていて、下町の銭湯から激しい紋々の入った方々が姿を消しました。個が尊重されて若者達は銭湯での裸の付き合いなんて知らずに育ちます。入れ墨に対する一般庶民の感覚を知らずに、カッコいいとかイケてるイメージだけが先行して芸能人や半グレに蔓延しているのが現状なんだと思う。それこそこの前書いたキムタクのロン毛や赤ラークを真似する感覚でタトゥーに手を染める人が出てくるのは必然でしょう。だとしたら本当に危険です。ロン毛の象徴はもう山下達郎かロッチ中岡くらいだし、タバコなんて多くの人に毛嫌いされる対象。よく考えていただきたいところである。