そうそう・・・昨日の夜、なに食べたっけ?やっと辿り着いた場所がこのクソブログpart6

命の続く限りアングラ(ただの自己満)で生き続ける男のちょっとエッチな独り言

嘘のようで本当のはなし。当事者となった時にあなたならどうするか。

頼られるのは嫌いではないが、その質が少しずつ変わってきたのである。

 

人生で勝負をしなければいけないタイミングは人それぞれ違う。勝負というくらいだから勝ち負けがあるし、そのリスクの度合いもそれぞれだ。

オレ自身は勝負事には滅法弱いくせに、そのヒリついた雰囲気が好きときてるから本当に終わっている。始まりはパチンコスロットで、生活費をもつぎ込んでしまうようなことも経験し、競馬競輪競艇と一通り立ち回って損をして、先日はデイトレードでこれまた痛い目を見た。それでも手持ちのお金だけでやっていたから泥沼のようなキャッシングはしていないので、そこだけが救われるところである。

 

とはいえ、今、話しているのは人生の勝負のこと。この部分に関して言うと、オレは石橋を叩いて確認しても渡らないような堅実な部分を見せる。勝てるというか、100%に近い勝率でなければ絶対に勝負から降りる。ドラクエで言えばラスボスのゾーマデスピサロに挑む時、ギリギリ勝てるようなレベルでは駄目で、誰から見ても完勝というか圧勝できるレベルまで上げてからラスボスに挑む。結果、赤子の手をひねるかの如くあっけなくラスボスを倒すのがオレのスタイルなのだ。

 

もの凄く合理的な考え方で生きてきた自負がある。学校に通っている時は、さほど感じたことは無かったが、職業選択の時にその道で生きていくと心に決めた要因は『勝てる場所』を求めたから。まあ何度か失敗はしたけれど。20代の時に薄給でも苦労を買ってでもしたのは、定年まで苦しみたくないと思ったからだ。

ただ精神的苦痛は半端なく、20代の頃に円形脱毛症に3度罹患し、そのうちの1度は500円玉よりももっと大きなハゲが3個もできた。そして抱え込んだストレスを、夜の街で酒と風俗に溺れて忘れた日々は、今も強烈な経験として記憶に刻み込まれている。

 

何度も言うが勝負は嫌いではない。友人が人生の岐路で勝負をしているのを傍から見て、羨ましいと感じる時もある。しかしながら伸るか反るか微妙な戦場で武器も少なに戦う姿を見ていたら、恐怖を感じずにはいられない。

中学の同級生で、現在までずっと付き合いのあるRがやはり厳しい状況に陥り、資金不足でショートする寸前である。借入を1000万円して返済残高600万。返済期限はあと3年。ただ、手元には現金がほとんど残っておらず、追加融資も銀行から断られたという。仕入れもままならないそんな状況下で、相談を受けたオレはどうするべきなのか。『そもそも考え方が甘すぎる』と切って捨てるのは簡単だが、すでに見捨てる=破産という危機的状況。なぜこんな状態になるまで・・・すがるべき人が違うだろ・・・とも思った。彼は嫁さんも子供もいる。しかしながら、親も親戚もいない天涯孤独な身でもある。

 

そもそもオレの手元の現金を彼に渡すことで何とかなるような状況なのか真剣に考えた。Rの事業計画も見た。そして救いの手を差し伸べるべきかどうかを決断する時、そこに打算ともいうべき思考が瞬間的に浮かんだのが悲しかった。すぐに自分の頬を張った。

オレはRを全面的に信用したその瞬間に、お金は諦める覚悟が必要なのだから。

Rには伝えた。お金は貸すわけではなく”出資”すると。オレはもう手元に現金は返って来ないものとして手放す覚悟であると。危機的状況を乗り越えるために、これからRの店の経営にも関与する。だから少なくとも危機を乗り越えて商売が軌道に乗り始めた暁には、キッチリと法人格を取得してオレのお金は資本金として組み込んでくれと。それで十分だからと。

 

オレはギャンブルには滅法弱い。しかしながら先ほど言ったとおり人生において負ける勝負は絶対にしない。だから3年間は、2足のわらじを履く覚悟をした。

 

Rは切り抜けられるだろうか。いや、それは絶対に負けられない戦いなのだから。オレ達は勝って笑顔で握手をしなきゃいけないのである。